「絶対こうしたほうがいい」
「普通ならこうするでしょ」
「いつも自分はうまくいかない」
「全部ちゃんと終わらせないと気が済まない」
何気なく使っている言葉ですが、振り返ってみると「絶対」「普通」「いつも」「全部」「全然」といった、少し強い言葉が多くなっていることがあります。
もちろん、こうした言葉を使うこと自体が悪いわけではありません。
ただ、物事をきちんとしたい気持ちが強いときほど、曖昧な状態をそのままにしておくことが難しくなり、言葉まで白か黒かにはっきり分かれていくことがあります。
そして、いつの間にか言葉だけではなく、自分自身の見方まで窮屈になってしまうことがあります。
「ちゃんと決めたい」が、自分を苦しくさせることもある

白黒はっきりしているほうが、分かりやすいものです。
できたのか、できなかったのか。
正しいのか、間違っているのか。
成功なのか、失敗なのか。
境界がはっきりしていれば、「これはどう受け止めればいいんだろう」と迷わずに済みます。
完璧にやりたい気持ちが強い人にとって、曖昧さは少し居心地の悪いものなのかもしれません。
だからこそ、
「絶対に失敗してはいけない」
「普通ならこれくらいできる」
「一度うまくいかなかったから、もう全部ダメだ」
というように、出来事をはっきりした言葉で整理したくなることがあります。
けれど、現実の多くは、それほどきれいに二つには分かれません。
- 昨日はできなかったけれど、今日は少しできた。
- 得意な場面もあれば、苦手な場面もある。
- ほとんどできたけれど、一部分だけ間違えた。
人間関係も仕事も自分自身も、「全部いい」「全部ダメ」と言い切れないことのほうが多いものです。
白黒をつけることで分かりやすくなる一方、その間にあるたくさんの事実が見えにくくなることがあります。

白と黒のあいだって、思っているより広いのかもしれない。グレーだけで何色あるんだろうね。たぶん、けっこうある。
「普通はこう」が強くなると、違いを受け入れにくくなる


「普通はこうするものだ」という言葉も、日常ではよく使います。
自分の中では当たり前だと思っていることほど、「みんなも同じだろう」と感じやすいものです。
けれど、自分にとっての普通と、相手にとっての普通が同じとは限りません。
同じ人でも、体調や状況が変わればできることは変わります。
以前うまくいった方法が、今も同じように合うとも限りません。
それでも「普通はこう」「絶対こうしたほうがいい」という考えが強くなると、目の前の状況よりも、自分の中にある基準を優先しやすくなります。
すると、思ったようにならなかったときに、
「なんでできないんだろう」
「どうして分かってくれないんだろう」
「また失敗した」
と、自分や相手に対する不満も大きくなりやすくなります。
問題なのは、「普通」という言葉を使ったことではありません。
自分の中の基準が、いつの間にか唯一の答えになっていないかに気づけることが大切です。
-2-scaled.png)
-2-scaled.png)
-2-scaled.png)
「普通」って便利だけど、ときどき主語がすごく大きくなるんだよね。「自分はこう思う」くらいまで小さくすると、少し見え方が変わるかも。
まずは、使っている言葉に気づくだけでもいい


こうした考え方を変えようとすると、
「もう『絶対』と言わないようにしよう」
「極端に考えるのをやめよう」
と思うかもしれません。
けれど、それでは「完璧主義を完璧にやめる」という、少し不思議な状態になってしまいます。
「また『絶対』って言ってしまった」
「また白黒で考えている」
「全然直せていない」
そうやって、今度は考え方を変えられない自分を責め始めてしまうこともあります。
だから、無理に言葉を禁止しなくてもいいのだと思います。
まずは、
「あ、今『絶対』って思っているな」
「『いつも』って言ったけれど、本当に毎回かな」
「『全部ダメ』と思っているけれど、本当に全部だろうか」
と、自分の言葉に気づいてみる。
すぐに答えを変える必要はありません。
「そう思っている自分」に気づけるだけでも、考えと自分の間に少しだけ距離が生まれます。



「絶対って言っちゃダメ」と決めると、そのルールまで絶対になる。完璧主義、意外と裏口から戻ってくるんだよね。
「本当に全部?」と少しだけ疑ってみる


極端な言葉が浮かんだときは、それを無理に否定するよりも、少しだけ問い直してみる方法があります。
- 「絶対に失敗する」と思ったなら、本当に一度も違う結果になったことはないでしょうか。
- 「いつも自分ばかり損をする」と感じたなら、「いつも」と言い切れない出来事はなかったでしょうか。
- 「全部ダメだった」と思ったなら、完全にゼロだった部分ばかりでしょうか。
この問いは、「そんなふうに考えるのは間違いだ」と自分を説得するためのものではありません。
苦しいときに見えている景色が、少し狭くなっていないかを確かめるためのものです。
「全部ダメ」から「かなりうまくいかなかった」に変わるだけでも、意味は少し違います。
「絶対無理」から「今は難しそう」に変われば、そこには未来の変化が入る余地があります。
言葉を少しゆるめると、出来事そのものまで軽くなるわけではありません。
それでも、ひとつの出来事から自分全体を決めつけずに済む余白は生まれます。
白か黒ではなく、「混ざっていてもいい」と考える


完璧主義をなくそうとしなくてもかまいません。
こだわる日があってもいいし、少しくらいなら気にしない日があってもいい。
「絶対」と言ってしまう日もあれば、「まあ、そういうこともある」と流せる日もある。
そのくらいの揺れがあって自然です。
白か黒のどちらか一色にならなくても、白と黒が両方あっていい。
たとえば、シマウマのように。
白もあるし、黒もある。
どちらか一方に統一されているわけではないけれど、そのままでちゃんとひとつの姿になっています。
人の考え方も、それくらい混ざっていていいのかもしれません。
「ちゃんとしたい」と思う自分と、「今日はこれくらいでいい」と思う自分が同時にいてもいい。
「失敗した」と感じながら、「でも全部がダメだったわけではない」と思ってもいい。
曖昧さを受け入れることは、適当になることではありません。物事を一つの答えだけで決めつけないということです。
-2-scaled.png)
-2-scaled.png)
-2-scaled.png)
今日は白多め、明日は黒多めでもいい。人間、たぶん毎日ちょっと柄が違う。シマウマ本人は気にしてなさそうだけど。
言葉に気づくと、自分の見方にも気づける


普段使っている言葉には、自分が物事をどう見ているかが表れることがあります。
- 「絶対」
- 「普通」
- 「いつも」
- 「全部」
- 「全然」
こうした言葉が出てきたときに、無理に消そうとする必要はありません。
ただ、「今、自分はずいぶんはっきり決めようとしているな」と気づいてみる。
そして余裕があるなら、「本当にそうかな」と少しだけ問い直してみる。
それだけでも、白か黒かしかなかったところに、もう一つ別の見方が入り込むことがあります。
完璧主義まで完璧に手放す必要はありません。
こだわる自分もいれば、少しゆるめられる自分もいる。
その間を行ったり来たりしながら、「これくらいならまあいいか」と思える場所が少しずつ増えていけば、それで十分なのかもしれません。









