「自分のいいところは?」と聞かれても、何も思いつかない。
その一方で、
- 「人に合わせすぎる」
- 「気にしすぎる」
- 「自信がない」
- 「断れない」
といった、自分の嫌なところならいくつも出てくる。
そんなふうに感じていると、「やっぱり自分の性格ってよくないんだろうな」と思えてくることがあります。
でも、自分のいいところが思いつかないことと、いいところが存在しないことは、同じではありません。
自分を見るときの視点が、いつの間にか「困っている部分」に集まっていることもあります。
短所ばかり見えると、自分全体まで悪く思えてしまう

自分の性格について悩むとき、きっかけになっているのは、その性質によって実際に困った経験であることが少なくありません。
- 人に合わせすぎて疲れた。
- 断れずに引き受けてしまった。
- 細かいことが気になって、なかなか気持ちを切り替えられなかった。
そういう経験が続けば、その部分を嫌になるのも不思議ではありません。
「この性格のせいで苦しい」と感じているのに、「それは長所だよ」と言われても、素直には受け取れないでしょう。
だから、嫌いなところを無理に好きになる必要はありません。
ただ、ここで少し分けて考えてみたいのは、「この性質によって困ることがある」ということと、「この性質はすべて悪い」ということです。
似ているようで、少し違います。

困ってる部分って、すごく目立つんだよね。靴の中の小石みたいに。小石があると、靴そのものまで嫌になったりする。
困った経験が強く残っていると、その性質について考えるたびに、うまくいかなかった場面ばかり思い出しやすくなります。
すると、一つの特徴だったはずのものが、だんだん「自分はこういうダメな人間なんだ」という大きな評価に変わってしまうことがあります。
でも、性格はそれほど一枚岩ではありません。
同じ性質でも、場面が変われば働き方も変わる


たとえば、人に合わせすぎてしまうことに悩んでいる人がいるとします。
自分の意見を言えず、相手を優先し続けて苦しくなっているなら、その状態を「いいところ」と呼ぶ必要はありません。
断れないことで負担が増えているなら、そこは困っている部分として扱っていいものです。
一方で、その人がこれまで人と関わる中で、相手に合わせて話題を選んだり、場の雰囲気を見ながら言葉を変えたりしてきたこともあるかもしれません。
同じ「人に合わせる」という性質でも、ある場面では自分を苦しくさせ、別の場面では人との関係をつなぐために働くことがあります。
だからといって、
「人に合わせる=思いやりがある」
と決めつける必要もありません。
大切なのは、一つの性質には、一つの意味しかないわけではないということです。



短所の裏に必ずキラキラした長所が隠れてる、って話じゃないよ。同じものでも、置かれる場所で働き方が変わることがあるんだと思う。
自分の性格に名前をつけると、その言葉の意味だけで自分を判断したくなることがあります。
- 「心配性だからダメ」
- 「優柔不断だからダメ」
- 「人に流されるからダメ」
けれど、そうした言葉だけでは、実際の自分がどう人と関わり、何を考え、どんな場面を過ごしてきたのかまでは分かりません。
性格を表す言葉よりも、実際の場面を見たほうが、自分について分かることがあります。
「長所は何?」ではなく「助けになったことはあった?」と考えてみる


自分のいいところが分からないとき、「自分の長所を探そう」とすると、かえって難しくなることがあります。
- 「優しい」
- 「行動力がある」
- 「コミュニケーション能力が高い」
そんな立派な言葉を見つけなければいけないように感じるからです。
無理に長所の名前をつけるより、
「自分が嫌っているこの部分が、どこかで少し役に立ったことはあっただろうか」
と考えてみるほうが、自分を見やすいことがあります。
たとえば、細かなことが気になって疲れる一方で、その細かさのおかげで見落とさずに済んだことがあったかもしれません。
人の反応を気にしてしまう一方で、それによって相手のちょっとした変化に気づいた場面があったかもしれません。
もちろん、思いつかなければ無理に探す必要はありません。
「この性格でよかったことなんて今は思いつかない」という答えになることもあります。
それでも構いません。
この問いの目的は、短所を長所に変換することではなく、自分について出している結論が、本当に一つしかないのかを確かめることだからです。



「好きになれるところを探せ」って言われると大仕事だけど、「ほかの顔もあったっけ?」くらいなら、ちょっと探せる日もある。
嫌なところは、嫌なままでもいい


自分の短所について考えると、
「受け入れなければ」
「長所だと思わなければ」
と、さらに自分へ課題を増やしてしまうことがあります。
でも、困っているところまで無理に肯定する必要はありません。
人に合わせすぎて苦しいなら、これから少し断れるようになりたいと思ってもいい。
細かなことが気になって疲れるなら、もう少し気楽になれたらと思ってもいい。
変えたいところがあることと、自分を嫌い続けることは別です。
「ここはしんどいから、少し変えたい」
と思いながら、
「でも、この部分だけで自分全部を決めなくてもいいのかもしれない」
と考えることもできます。
自分の性格を、好きか嫌いかの二択で決めなくてもいいのです。
嫌なところがあり、困るところもあり、それとは別に、助けられてきたところもある。
その全部が同時に存在していても、おかしくありません。
自分のいいところは、最初から「いいところ」の顔をしていないこともある


自分のいいところが見つからないとき、「もっと自信を持たなければ」と考えなくても大丈夫です。
もしかすると必要なのは、自分を高く評価することではなく、自分を見る角度を少し増やすことなのかもしれません。
これまで「ダメなところ」としてしか見てこなかった部分について、
「この性質で困ったことは分かっている。では、それ以外の場面ではどうだっただろう」
と振り返ってみる。
すると、同じ性質の中に、今まであまり注目していなかった面が見えることがあります。
それを「長所」と呼ぶかどうかは、それほど重要ではありません。
自分のことを一つの言葉だけで決めつけずに済むなら、それだけでも見え方は少し変わります。



自分って、正面から見た写真一枚だけじゃないんだと思う。横から見たり、ちょっと遠くから見たりすると、「あ、そこも自分か」ってなることがある。










