- 予定していた集まりに、ちゃんと参加できた。
- 話してみたら思っていたより楽しかったし、「今日は来てよかったな」と思えた瞬間もあった。
- 帰り際には「ありがとう」「またね」と言えた。
それなのに、家に帰って一人になると、
「でも、気配りできなかったな」
「自分から挨拶できなかった」
「ちょっと喋りすぎたかもしれない」
そんなことばかり思い出してしまう。
気づけば、「楽しかった」という感覚よりも、「ちゃんとできなかった」という反省のほうが大きくなっていることがあります。
ひとつできなかったことが見つかると、それまでにできていたことまで、なかったことのように感じてしまう。
そんなふうに、自分の一日を採点してしまうことはないでしょうか。
「けど」「でも」のあとだけを採点してしまう

「今日は楽しかったけど、喋りすぎた」
この言葉には、本当は二つのことが入っています。
「今日は楽しかった」ということと、「喋りすぎた気がする」ということです。
どちらも、そのとき自分が感じたことです。
けれど、「けど」のあとにある反省が強くなると、前半の「楽しかった」が急に価値のないもののように扱われてしまうことがあります。
「やってみた。でも、うまくいかなかった」
というときも同じです。
結果だけを見れば、望んでいた形にはならなかったのかもしれません。
それでも、「やってみた」という事実まで失敗になるわけではありません。
結果がうまくいかなかったことと、そこまでにあった行動や感情は、本来は別々に存在しています。

「でも」の後ろだけ採点すると、「楽しかった」が答案から消えちゃうんだよね。ちゃんと書いてあったのに。
反省すると、全部ダメだったことになるわけではない


できなかったことに気づくのは、悪いことではありません。
「もう少し周りを見られたらよかった」
「次は自分から挨拶してみたい」
そう思うことが、次に生かされる場合もあります。
ただ、反省することと、自分がしたことを全部否定することは同じではありません。
「気配りできなかった」があったとしても、
- 予定していた場所へ行けたこと。
- 誰かと話したこと。
- 楽しいと感じたこと。
- 相手のいいところに気づいたこと。
- 「ありがとう」と伝えたこと。
そうした事実まで一緒に消す必要はありません。
「できなかったことがある」と「何もできなかった」は、かなり違う言葉です。
ところが、自分への採点が厳しくなっていると、この二つがいつの間にか同じ意味になってしまいます。
100点ではなかったから0点。
理想通りにできなかったから、できたことも数えない。
そうやって採点していると、一日の中に確かにあったものまで見えにくくなってしまいます。
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反省会を開くのはいいけど、できたこと全員を会場から追い出さなくてもいいんだと思う。
「これしかできなかった」の中にも、できたことがある


「今日はこれしかできなかった」
そんなふうに思う日もあります。
- 予定していた仕事が全部終わらなかった。
- 思ったように人と話せなかった。
- 勇気を出したのに、うまくいかなかった。
その悔しさまで無理に肯定的に捉える必要はありません。
できなかったことは、できなかったことで構いません。
ただ、「これしかできなかった」という言葉の中には、少なくとも「これはできた」という事実も含まれています。
一つしか終わらなかったなら、一つは終わっています。
うまくいかなかったとしても、やってみたのであれば、やってみたところまでは事実です。
人とほとんど話せなかった日でも、その場に行ったのであれば、「その場に行った」という出来事は残っています。
それを大げさに褒める必要はありません。
ただ、なかったことにもしなくていいのです。
「できて当たり前」が、できたことを見えなくする


できたことを認めようとすると、
「こんなの誰でもできるし」
「これくらい普通でしょ」
「こんなことで満足していたらダメだ」
と感じる人もいるかもしれません。
けれど、「普通にできたこと」は、存在しなかったことではありません。
- 朝起きた。
- 予定していた場所へ向かった。
- 嫌なことがあっても一日を終えた。
- 誰かに返事をした。
その一つひとつを毎回「すごいこと」と考える必要はありません。
ただ、「当たり前だから数えない」というルールにしてしまうと、自分の中には失敗と不足だけが残りやすくなります。
うまくできた日は「できて当然」。
できなかった日は「またできなかった」。
この採点方法では、どれだけ動いても点数が増えません。



当たり前って、透明になるのが得意なんだよね。そこにあるのに、見えなくなる。ちょっと忍者っぽい。
肯定的に見ることは、無理に「よかったこと」に変えることではない


「いいところも見つけよう」と言われると、嫌だった出来事まで前向きに考えなければいけないように感じることがあります。
でも、苦しかったことを「いい経験だった」と言い換える必要はありません。
嫌だったなら、嫌だった。
うまくいかなかったなら、うまくいかなかった。
そのままで構いません。
そのうえで、
- 「自分はこれが嫌だったんだと分かった」
- 「思ったより緊張していたみたいだ」
- 「ここまではできていた」
- 「今日はこれ以上は難しかった」
と、そこに実際にあったことも一緒に見てみる。
それくらいの距離感でも十分です。
肯定的な面を見ることは、都合よくポジティブに変換することではなく、否定的な面だけで全体を決めないことです。
一日には、「よかった」「嫌だった」「普通だった」「よく分からなかった」が一緒にあってもおかしくありません。
どれか一つにまとめなくてもいいのです。
一日の中から、小さな「○」を拾ってみる


もし自分の中で「でも」「けど」が続きやすいなら、少しゲームのように考えてみる方法もあります。
大きな成功を探すのではなく、一日の中にあった「○」を見つける感覚です。
- 「予定通り行けた」
- 「少し楽しいと思えた」
- 「相手のいいところに気づいた」
- 「ありがとうと言えた」
それだけで何かが解決するわけではありません。
反省したいことがあれば、もちろん残しておいて構いません。
ただ、「できなかった」にライトを当てるのと同じくらい、「できた」「普通に終わった」というところにも少しだけライトを向けてみる。
最初は、「こんな小さなことまで数えていいのかな」と思うかもしれません。
数えていいと思います。
それは、自分を甘やかすためではありません。
実際にあったことを、実際にあったまま受け取るためです。



今日は100点じゃなかった。たぶん昨日も100点じゃない。でも、0点でもなかった。そのへんに今日の点数は転がってる。
「全部ダメだった」にしなくても、一日は終えられる


うまくできなかったことが目につく日はあります。
あとから思い返して、「もっとこうすればよかった」と感じることもあります。
その気持ちを消す必要はありません。
ただ、その反省の横に、
- 「それでも、これはできた」
- 「ここは普通に終えられた」
- 「この瞬間は楽しかった」
という事実を置いてもいいのだと思います。
できなかったことが一つ見つかったからといって、その一日全部が失敗になるわけではありません。
楽しかったなら、楽しかった。
参加できたなら、参加できた。
やってみたなら、やってみた。
反省するところには反省のライトを。
よかったところにも、何でもなかったところにも、小さなライトを。
一日の中にあったものを、どれか一つの評価だけで塗りつぶさなくてもいいのです。










