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本当はわからないのに「わかります」と言ってしまう。強がりが苦しくなるとき

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「わかります」

本当は、まだよくわかっていない。

「いいよ」

本当は、少し嫌だった。

「できます」

本当は、自信がない。

「大丈夫です」

本当は、ぜんぜん大丈夫ではない。

そんなふうに、本当の気持ちとは少し違う返事をしてしまうことはありませんか。

その場では、それがいちばん波風を立てない答えに思えます。

「わかりません」と言えば、そんなことも知らないのかと思われるかもしれない。「できません」と言えば、頼りないと思われるかもしれない。「大丈夫じゃない」と言えば、面倒な人だと思われるかもしれない。

だから、反射的に「大丈夫です」と答える。

けれど、その小さな強がりが積み重なると、だんだん自分の首を締めることがあります。

目次

「知らない」「できない」を見せるのが怖い

強がってしまう人にとって、「知らない」「できない」「困っている」と伝えることは、単なる事実の共有ではない場合があります。

  • 自分の足りないところを見せること。
  • 評価を下げられること。
  • 周りから外れてしまうこと。

そんな意味まで、一緒についてくるように感じることがあります。

そのため、わからないことがあっても「わかります」と答えたり、余裕がなくても「大丈夫です」と言ったりします。

それは必ずしも、相手をだましたいからではありません。

「できない自分を見せても、ここにいていいのだろうか」という不安から、自分を少し大きく見せてしまうことがあります。

「わからない」と言うだけなのに、頭の中ではなぜか「人間失格です」のボタンまで一緒に押した気分になること、あるんだよね。

もちろん、誰もが同じ理由で強がるわけではありません。

その場を早く終わらせたいこともあれば、相手に余計な心配をかけたくないこともあります。

ただ、もし「できないことを知られるのが怖い」「弱いところを見せると嫌われそう」という感覚が強いなら、強がりは自分を守るための反応になっているのかもしれません。

強がるほど、本当の自分との差が大きくなる

「できます」と答えた以上、できるように見せなければならない。

「大丈夫」と言った以上、つらそうな顔をしてはいけない。

「わかっています」と言った以上、もう一度聞きづらい。

こうして一度強がると、その言葉に合わせて振る舞う必要が出てきます。

最初は小さな無理でも、あとからどんどん負担が増えていくことがあります。

わからないまま進めて失敗してしまったり、抱えきれない仕事を引き受けてしまったり、本当は嫌だったことを何度も受け入れることになったり。

相手からすれば、「大丈夫と言っていたから大丈夫だと思っていた」ということもあるでしょう。

自分を守るためについた小さな強がりが、結果として自分を追い込んだり、人間関係のすれ違いにつながったりすることもあります。

「弱く見られないこと」を優先するあまり、自分が実際に困っていることまで隠さなければならなくなると、かなり苦しくなります。

一回「余裕です」と言うと、その後ずっと余裕の衣装を着ることになる。あれ、意外と重たい服なんだよね。

正直に言うことは、弱さを見せることとは少し違う

「わかりません」と言う。

「教えてもらえますか」と聞く。

「今のままだと難しいです」と伝える。

「本当はあまり大丈夫ではありません」と話す。

こうした言葉には、たしかに少し勇気が必要です。

相手がどう受け取るかわからないからです。

でも、わからないことを「わからない」と言うのは、自分を低く評価することではありません。

できないことを「今はできない」と伝えるのも、能力のすべてを否定することではありません。

ただ、その時点の状態をそのまま伝えているだけです。

「わからない」と「自分には価値がない」は、同じ意味ではありません。

「できない」と「何もできない」も違います。

事実をそのまま認めることと、自分を否定することは別のものです。

むしろ、わからないことを確認したり、難しいことを早めに共有したりできたほうが、あとから大きな問題にならずに済むこともあります。

「知らない」は欠陥じゃなくて、ただの現在地だったりする。地図に「ここです」って丸をつけるくらいの話かもしれないね。

いきなり全部さらけ出さなくてもいい

とはいえ、長いあいだ強がることで自分を守ってきた人に、「今日から全部正直に言いましょう」と言っても簡単ではありません。

言えないから困っているのであって、勇気が足りないからではありません。

だから、いきなり弱いところをすべて見せる必要はないでしょう。

たとえば「わかります」と言い切る代わりに、「ここまではわかるのですが、この部分だけ確認してもいいですか」と伝える。

「できます」と即答する代わりに、「一度確認してから返事をします」と少し時間を置く。

「大丈夫です」と反射的に答えそうになったときに、「ちょっと余裕がないかもしれません」と、全部ではなく一部だけ本音を出してみる。

正直さには、0か100かしかないわけではありません。

自分を守りながら、現実とのズレを少しだけ小さくしていく方法もあります。

言ってみたら意外と何も起こらなかった、という経験が少しずつ増えることもあります。

もちろん、正直に伝えたことで責められたり、必要以上に否定されたりする環境もあります。

その場合まで、「もっと正直になればいい」と自分だけに変化を求める必要はありません。

何を言っても弱点として扱われる場所や、困っていることを伝えるたびに責められる関係では、そもそも安心して本音を出すことが難しいからです。

「強く見える自分」だけを守らなくてもいい

強がりは、ときに自分を守ってくれます。

不安を見せずに乗り切らなければならない場面もあるでしょう。

だから、強がること自体を悪い癖として切り捨てる必要はありません。

ただ、いつも強く見せていなければ人から離れられてしまう気がして、知らないことも、できないことも、つらいことも全部隠しているなら、その生き方は少し息苦しいかもしれません。

  • 「わからないから教えてほしい」
  • 「今は難しい」
  • 「それは少し嫌だった」
  • 「大丈夫ではない」

そう言った自分も、自分です。

完璧に見える自分だけが、本物ではありません。

できないことや迷っていることまで含めて、現実の自分として扱っていいのだと思います。

強い人って、ずっと強そうな顔をしてる人とは限らないのかも。「知らん」「無理かも」も持ったまま立ってる人、けっこう強い。

本当の状態を隠すことでしか続かない関係なら、その関係に合わせ続けることが自分にとって必要なのか、考えてみてもいいのかもしれません。

正直に話すことは、いつでも安全とは限りません。

それでも、自分まで自分の本音を見ないことにしなくてもいい。

「本当はどうだったんだろう」と、自分の中だけでは認めてあげる。

そこからでも十分です。

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